絶望こそが希望である「ジョアンナ・メーシー」から

今年も3月11日がやって来ました。

私たちの意識は確実に3.11以前と3.11以降では変化がありました。

だけど、日々の暮らしに追われているうちに、その思いは潜在意識に沈み込み

少しずつ薄れてきたような気がします。

「絆」という言葉に乗せた願いや、生者死者への祈り。

ボランティアやカンパ、救援物資などを通して何か助けになりたいと願ったあの日。

今こそ、あのころ思ったことを思い出してみませんか。

温ちゃんは、福島原発事故のあと、どうしようもないほどの絶望を感じました。

おそらく、この絶望はあなたの中にも存在しているんじゃないでしょうか。

それは個人の死とかとはまた別次元の感覚。

人類が地球が終わるんじゃないかという言い知れぬ恐れです。

いつか同じような大きな地震が来て、もっと深刻な原発事故が起こるんじゃないか。

某国が核ミサイルを飛ばして、国内に放射能の雨が降るんじゃないか。

放射能のみならずダイオキシンやオゾン層破壊、排気ガスや砂漠化など・・

環境汚染が取り返しができないところまで進み、人類は緩慢な死を迎えるのではないか。

環境汚染、原発のことを、放射能のことを知れば知るほど絶望は深まっていきました。

私たちは、この絶望を決して口に出さないようにしてきました。

それはあたかも絶望を口に出したとたんに、物事は後戻りできなくなるかのように。

現実に目を背け、世界の現実に目をつぶっても、私たちの心の安寧は得られません。

それは温ちゃんの大好きな、宮沢賢治のこの言葉にも表れています。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」

私たちは、今の時代の絶望とどう向き合っていけばいいのでしょうか。

ジョアンナ・メイシーは、まず私たちは絶望の存在を認めることが必要だと言っています。

政治信条やライフスタイルに関係なく、この世界と未来への絶望はみんなの心の底に潜んでいます。

絶望を認め、それを共有することではじめてその絶望より深く大きなものをみつけることができます。

なぜなら地球と生命に対する絶望は、自我を超えた愛だから。

絶望を認め仲間と共有することで、私たちは一体性をとり戻し、生まれ変わります。

再生は一体感という新しい次元の意識の喜びの中にみつけることができます。

結果地球がどうなるかにかかわらず愛ともよべる一体感の中で、

私たちははじめて地球を癒す生き方を歩み始めます。

てことをジョアンナ・メイシーは「絶望こそが希望である」という本の中で言っています。

それはひとつのイニシエーション。

絶望を認めることが再生へのスタート地点です。

私たちが生きていく中で一番つらいのは孤独感または誰ともつながっていないという恐れ。

福島を沖縄をシリアを忘れた時に、はじめて私たちは断絶します。

私たちにできることは限られていますが、

せめて忘れていないよつながってるよとメッセージを発信することは

何より大切なことではないでしょうか。

最後に一つ。

地球上には悪い人より善人のほうが圧倒的に多いから、

今がどうであれ100年200年後にはきっと世の中は良くなっているそうです。

ちょっと安心しますね。

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冷えとり温ちゃんの社会とこころの冷えとり

第八章 社会と心の問題


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