「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言ったのは宮沢賢治ですね。
世の中の人みんなが健康で幸せになることを祈りながら、まずは自分自身の冷えとりから進んでいきましょう。
先日100円ショップにいったら・・いろいろなものがあるんですね。何でこんなものが100円で?というような商品もいっぱいありました。
きっと激安商品の向こうには長時間労働や児童労働、危険や有害な環境と隣り合わせの労働とかがあるだろうことは想像に難くありません。
たとえば、サッカーボールはパキスタンの少年たちが暗い部屋に朝から晩まで閉じこめられて、痛い手を我慢しながら縫っている現実があります。少年たちがそのボールでサッカーを楽しむことはありません。
コーヒーはニューヨークやロンドンの先物取引レートによって価格が変化し、家族経営の小さな農家は成りたたず大農場に雇われて低賃金で過酷な労働を強いられます。家族が病気になれば医療費を雇用主に借り、ますます従属してしまうという話を聞いたことがあります。
今私たちが現実に手にしている豊かさは、このような貧しい国の不幸の上に成り立っているのです。
そんな世界の冷えをとるために私たちはどんなことができるのでしょうか?
前にコットンのお話で少しだけ出てきましたが、作る人・売る人・買う人みんなが幸せになれるような流通の仕組みのことをフェアトレードといいます。
フェアトレードでは、まずは第三世界の生産者が幸せになれる仕組みを考えます。
第三世界の労働者がちゃんと食べて暮らしていけるよう正当な対価を払うことはもちろん、協同組合を作って自分たちで運営していける工場を作る手助けをしたり、子供たちのために学校を作ったり、女性たちが識字率を高め自立できるようにサポートしたり、南の人たちの幸せを考えて活動するNPOやNGOが世界中にたくさん存在しています。
フェアトレードが日本に入ってきたころは、それこそ粗悪なバッグやおいしくないコーヒー、一回洗っただけで駄目になる服などばかりでたいへんでしたが、約30年経った今は、ちゃんとした商品が私たちの手元に届くようになりました。
それは生産者自身が甘えや依存の体質から脱却しプロとしての生産者意識に目覚めたことや、フェアトレード団体の職員の血のにじむような努力があったからでしょうね。
そして買う側売る側の私たちも、かわいそうな南の人に同情して買ってあげるといった考えから、対等なビジネスの相手としてしっかりつきあえるように成長してきたことも、とても大事なことだと思います。
フェアトレード商品は、普通に町で売られているものに比べ割高になります。フェアトレードのものの価格のつけかたには、ちゃんと生産者が自立して幸せに暮らせるだけでなく、フェアトレード団体が自立のサポートができるように、そして小売りや買う側にばかりコストを押し付けることがないように計算された販売価格がつけられています。
そう、みんなが少しずつがんばってみんなが幸せになれるような仕組み、それがフェアトレードです。そしてそれが世の中の冷えとりでもあるのです。
今の時代、ひとりひとりの購買の中で二極化がすすんでいる時代だといわれています。コストをかけても納得がいくものがほしいもの、そうでないものがあなたの中にもあるはずです。
どこにコストをかけ、どこで節約するか。私たちみんなが賢い消費者になることが求められている時代なんですね。
自分のできるところ、納得できるものからでもフェアトレードの商品を選択してみませんか?
っていうのが今日のお話です。